2008/06/14

淀保育園での研修会から


淀保育所保育内容研究会
5月27日2008年(火)18:00~20:00 対象者;保育士さん、20名ほど
テーマ;画を描くこと、あらわす(表現)こと

はじめに
からだで感じ、からだで答える。
手と目と耳と、感触と、運動、からだ全体で感じて応答することが、表すことにつながる。
Ws00 古新聞紙を破らないように注意してやわらかくほぐす。
しばらくして、隣の人のと交換してみよう。肌触りが違うことが確認できる。
その違いから、なんとなく人となりの雰囲気や気持ちが感じられる。
Ws01 ぐるぐる、カクカク、ほわほわ、描き


Ws02 からだの動きが線になる/描かれた線が気持ちを動かす
 輪になって座り、1分程度で回し描きしていく。紙、ダンボール、布、板、色紙、包装紙、など、なんでも描けるものを素材に、回し描きしていこう。
丁度、一周して自分のところに最初の画面が戻ってきたら終了。
みんなの描いた跡が記され、画面は小さな旅をしてきたようだ。


Ws03 偶然選んだ色紙の断片五つで、顔をつくってみる。
できた顔から表情を引き出してみる。
みんなで見せ合い、思いつくまま感じを交換し、それぞれのふさわしい<お相手>をつくってみる。今度は、顔として意識して色紙の断片を選び出す。
Ws04 積む、並べる、集める、などの行為から
最後に、残った材料を並べてみよう。最初は、なにかの基準を見つけて、並べてみる。次に、色合いや背の高さ、大きさ、積み上げたり、重ねたり、など、いろんな並べ方を見つけよう。さらに発展させて、街に見立てて並べてみてもおもしろい。
ここでは、なんでもないものが、工夫次第でおいしい材料になることを感じ取ってほしい。
後は、遊び心をどんどん引き出し、夢中になろう。

用意するもの;
描画材あるもの各種、紙類、布類、ダンボール、その他なんでもあり。
小石、小枝、葉っぱ、木の実、などの身近な自然物から。
ティッシュ・ペーパー、お菓子の箱、キャンデーの包み紙、空き容器、などの身近な生活物から、
その他;テープ類、展示発表用にピンなど

2008/05/17

プサン美術中学生アートワークショップ


Ws1 導入として;artはheartをかたちにする行為
ウオームアップドローイング
ハリガネマンでバランスポーズ/重力、重心、からだの動き


Ws2 色を感じよう;色の知覚と心理
色紙での知覚反応/補色
二色での知覚反応/色の属性
色の対比効果/コントラストという比較、相違、差異、ズレ、など


Ws3 偶然の色あわせ;5ピースでの比較、コントラスト
明るい色から暗い色へ
派手な(目立つ)色から地味な(目立たない)色へ
重い色から軽い色へ
おいしく感じる色からまずそうな色へ
好きな色から嫌いな色へ
韓国の匂いのする色から日本の匂いのする色へ
その他



Ws4 色のかかわり;色合いと感情喚起
五色五片で顔をつくる
できた顔から表情を引き出す
顔のプロフィールを引き出す
マスクにしてかぶってみる





2008/05/15

環境に愛を!展


環境に愛を!というテーマの展覧会が、京都市美術館で開かれています。「愛、地球博」の展開を続けようとの呼びかけからだそうです。残念ながら、準備不足もあって会場は淋しい状態ですが、今後に向けての発展を期待します。今回の参加者の一員として、作品にこめたメッセージだけでは弱くて自己満足で響かないと思います。見るものに気持ちや意識を引き込むような参加がほしいと思います。

2008/04/26

子育ては言葉の教育から

表題は、外山滋比古さんのPHP文庫の本のタイトルからです。
幼児教育で忘れてはならない39章と題して、エッセイ風にこどもと言葉のあり方を巡って記しています。その中でひっかかったことがあります。それは次のことばです。

「子育ては仕事ではなく、芸術です。空気の絵を描く芸術です。こどもの心のカンバスに絵を描く画家の喜びと苦労があります。」

この本の最後に記されたこのことばには、生活する生きるからだが芸術していないことには、いくらカンバスに絵を描こうとしても絵にならないといっているように聴こえてきます。子育てはともすると親の義務感や責任感といった考えに押し切られ勝ちですが、実は、自らの喜びや自己実現を自ずと求める行為だと言い切る視点は、現代の芸術観自体をも揺るがす力を秘めていると感じます。
あとがきにこうも記しています。
「ことばの教育というと、すぐ文字を書かせ、読ませることと考える常識も、幼児にとっては迷惑です。幼いこどもにとってのことばは声をもったことばです。できれば母の声で教えたいものです。」
「教育の基本は幼児のときに覚えることばであると考えています。この学習は学校の生徒が机に向かい、頭でするのと違って、遊びの中で体で覚えます。そういう体で覚える勉強の方法はまだよく確立しているとは言えませんが、小学校のまねではいけないのははっきりしています。」
遊びと学びのありようについての教示がここには見出せます。からだが頭を強くしていく方法、「丈夫な頭と賢いからだ」の方法を芸術が教えてくれると思います。
『子育ては言葉の教育からー幼児教育で忘れてはならない39章ー』
外山滋比古著、PHP文庫1997版
追記;ブックカバーの装画は、五味太郎さんです。五味さんといえば、『じょうぶな頭とかしこい体になるために』ブロンズ新社の本の著者です。

2008/03/31

最近の作品から


「蝕・色・食」 IACK2008展、ギャラリーマロニエ(京都)1月22日~27日2008年
<りんご>と<LINGO>わけのわからないちんぷんかんぷんの意
リングは、りんごの重みで仕舞ってくる。
この作品は、りんごをあらためてスーパーの棚から離れて、まじまじと見つめられたら、どんなLINGOを語るのかという好奇から。香気を発するよう期待しての展示となりました。
結果は、<やっぱり食べるとおいしい!>でした。

2008/03/22

こども芸術学科があゆみ始めました(その2)

「保育に役立つリトミックと手遊び」での秋浜友子さんの特別授業では、<からだは楽器>というスイスのE.J.ダルクローズが提唱開発した音楽教育の手法に触れるものでした。リトミックは、楽器の演奏訓練から入るのではなく、まず、からだ全身で音を感じ、リズムや音感を育もうという「感じる」ことを根拠にした手法といえます。このときは教員も参加して、広い体育館で全員、こどもに返っての楽しい授業でした。からだを動かすとキモチが動きます。音やリズムはそのキモチに楽しさと無心さを教えてくれました。


夏休みには、地元の子供達と泥んこプールでのワークショップです。土をいじったりドロドロの感触を味わったりと自然の材料は、私達に多くのことを教えてくれます。土や木、水といった材料自体の芸術的価値を発見したのは、実は、ここ百年ほどの出来事なんですね。それまでは画面の支持体や表現手段としてイメージに仕えるものとみなされていました。


京都や大阪などでは、地蔵盆というこどものための行事が今日もずっと続けられています。この夏、はじめて<こ学>の学生たちも参加して、こども芸大、ピッコリーの皆さんらと一緒になっての地域のこどもたちと喜び、遊ぶ、地蔵盆となりました。いろいろ身近な材料や遊びを工夫しての催しは、こどもたちにどのように受け止められたのでしょうか。今後も楽しみな出来事でした。


9月には、「こどもといのち」をテーマに鎌田東二さんの集中授業が、長野の八ヶ岳のふもとにて行われました。ここは、縄文土器がたくさん発掘された古代のスピリチュアルに満ちたところです。いのちのテーマにふさわしい場所での三日間でした。写真は縄文人に返ってのパフォーマンスの発表風景です。岡本太郎の「芸術は爆発だ!」といういのちの息吹を学生たちは十分からだで感じたと思います。


『うそつきのつき』、『なぞなぞのたび』、『森の絵本』など、ユニークな絵本作家の荒井良二さんが<こ学>の特別授業を一日もってくれました。学生達と身近な材料で絵本をつくるワークショップでしたが、彼の基本は即興でした。<その時、その場>は、一回限りのものです。そこでの向き合い方は<いま>を予定や計画で埋めないで、その時・その場で応答して決めていくという即興的なものでした。ともすると即興性は、<場当たり>、<いい加減>、<無責任>などと嫌われ、批判されがちです。しかし、「感じること」をベースにするには、この問題を乗り越えなければなりません。彼の授業は、時間不足などの尻切れに終わったかもしれませんが、学生達の目はいきいきと楽しそうで、表現することの大切なものを感得できたと思います。


「造形表現」という授業が、学科の特性を位置づけるものとして設定されています。前期のテーマは、「からだと表現」でした。後期は、「あそびと表現」です。この写真は、この授業で音具、楽器を創作しての発表会の様子です。丁度、こども芸大の親子も顔を出してくれました。学生たちは、思わぬお客にやや緊張気味ながらも自らの作った楽器で演奏発表をしてくれました。こどもの反応は率直で、良し悪しではなく、こどもの反応からは得るものが多い。空気や場の雰囲気、間、そして気持の変化などが、こどもの様子で見えてくる。「感じる」ことからはじめる根拠の指標となりうるかもしれません。


この一年は、学科にとって小さな一歩かもしれませんが、多くの人人の援助や手助け、そして理解、協力、声援が大きくあっての一歩となりました。心より感謝と明日への希望を願っています。

こども芸術学科があゆみ始めました



2007
年の4月より、こども芸術学科(こ学)のお姉さん、お兄さん29名が「こども」と「アート」と「教育」をキーワードに<こども芸術>についてまなび始めました。

このこども芸術学科は、<人もアートもどのようにして生まれ育っていくのか>という<はじまり>、<誕生>、<発達>といった根っこを掘り下げ、求めることを課題としています。なぜなら、そこには「芸術によってヒトは人になるんだ」という思いがこめられているからです。どのような時代、地域、民族においてもそれぞれに共通するものに<芸術するこころ>を見出すことができます。ナゼ、共通な営みとなりうるかというと、芸術は生きることと強く結びついているからです。死ぬこと、生まれること、そして食べること、遊ぶこと、学ぶこと、働くこと、など、これらは人類の共通の課題であり、営為です。芸術はこれらと根っこのところで強く結びついています。ですから、この<芸術によって人になる>というこのことばがあるのではないでしょうか。芸術が個々の違いという<個性の表現を主張する段階から、芸術による人間の形成・発達の段階へ>ということが、<こども芸術>の課題だと考えています。個性の表現とは、なによりも人間となること(形成・発達)と結びついていなければなりません。それは同時に、全的な人間の発達を促す芸術とはどのようなものかという芸術自体への問いでもあります。人間になっていく(形成・発達)とは、どのようなことを指すのでしょうか。子育てや保育は、その意味で芸術と深く根っこのところで結びついています。さらに言えば、子育てや保育は、人となる個性を育む(未来の)芸術行為だといえます。

保育とは、なによりも「感じること」から始まるのではないでしょうか。人間はもともと未熟な状態で生まれてきます。動物と比べても身体能力は弱く、生まれたままの状態では死んでしまいます。助け、保護し、世話するという保護養育することが自ずと必要となってきます。それは相手の身になって感じ、考えようとする行為にほかなりません。ですから、手を相手にあてて感じようとすることは、古来から手当てという治癒・治療行為の始原的な仕草です。感じることは、からだ全体をつかって、経験や知識、直感や気持ちなど、すべてを動員して想像力を働かす行為だといえます。このことは、実は、そのまま芸術行為の本質です。感じることをあらわそうと、そして伝えようと、なんらかのカタチにする行為が芸術の本質です。<カタチ>にする手段方法の技術が、必要なのではなくて<カタチ>にしたいという想いや<キモチ>が手段方法を生み出すのです。保育においても手段方法のマニュアルやスキルが先にあるのではなくて、いとしい想いや成長の願いや<キモチ>が子育てや保育方法の知恵や工夫を生み出すのではないでしょうか。優れた保育実践の報告にはこれら「感じる」ことを根拠にした姿勢や考えが伺えます。人と比べたり、統計や数値で測ることを根拠にしないで、生きた感じる心を根拠にしてはじめたいと思っています。