2007/12/21

アートNPOフォーラムin淡路島に参加して

12月14日から16日にかけて、淡路島洲本にて全国アートNPOフォーラムを覗いてきました。
NPO淡路島アートセンター、アートNPOリンクの共催でホットな三日間でした。
洲本の市民工房とは、2003年の3月17日から4月2日にかけて「アートキッチン・フェスティバル;<土のひと>と<風のひと>との交流ワークショップ」というイベントを洲本市と京都造形芸術大学との共催で行ったというご縁があります。
このときは、30以上のアートワークのレシピがあつまり、会場でつくって展示するという市民参加のアートイベントでした。地元の<土のひと>と外からの<風のひと>とのアートを通じた交流がねらいでした。
市民工房の一周年記念ということもあり、学生から地元の人たちからと、さまざまなひとたちとのご縁ができました。
それ以後、毎夏には、淡路島全域でのアートと地域が結びつくアートイベントを久保さんや山口さんらを中心に活動をつづけ、現在、こうしてNPO法人格を得て、このようなフォーラムが開けたことは自分のことのように嬉しく思いました。この五年間で、ほんとうにいろんなことが駆け巡ります。
このフォーラムも第1回の神戸での開催は、四、五年前だとききます。

淡路島アートセンター代表の久保拓也さんの挨拶をスタートに、
北川フラム
(地中美術館総合ディレクター)さんの基調講演ではじまりました。
越後妻有の大地の芸術祭を紹介しつつ、地域が崩壊するなかにあって「お年寄りとあそびたい」というおもい、場所の記憶や遺産、棚田や田舎の風景や風土といったことへの気づきやアイデンティティといったことを「アートの赤ちゃん力」でもって引き出したいと話してました。
アートのくったくのない、意味がなくてもきもちの赴くままの行為や、場所から触発されたり、応答するあそびのようにアートの本来の源としての役割を「赤ちゃん力」として話してたことが印象的でした。

二つ目には、2010年に瀬戸内海を中心に島々をめぐっての芸術祭(仮称 瀬戸内国際芸術祭)を計画中というワクワクする話でした。地域の文化の多様性を生活の文脈でアートを位置づけていこうという、限界芸術のようにまさにマージナルなフロンティアの期待と可能性を訴えていたことが心に残りました。
続いてのフォーラムは、ハートアートおかやまの田野智子さん司会で、以下のNPOのプレゼンテーションとディスカッションでした。
別府市のNPOベッププロジェクトは、2005年に別府市を拠点に活動開始。「生活温泉」とか「混浴温泉世界」とか、瀬戸内をひろばに回遊する文化圏構想を語ってました。
NPOクオリティ&コミュニケーションofアート(略してカコア)は、1997年、愛媛の松山を拠点に活動開始。「アートにかかわる公共性」、「ソーシャルアート」といったことの中間支援としての役割を話してくれました。
三番目のナムラ・アートミーティングは、2004年から2034年までの30年間遊び続ける?プロジェクトということで、大阪のナムラ造船跡地という産業遺産の<壊装計画>のプレゼンでした。すでにいろいろミーティング、パフォーマンスなどをやってきており、スライドなどの紹介では楽しそうですが、実際の参加となると、、、疲れそう、、、帰りの足は?とか、いろいろ若者ならではの体力・気力が求められそうな気がしました。でも乞うご期待。
最後に、淡路島アートセンターのプレゼン。
2004年台風災害がきっかけで「日の出亭」再生事業から、アサヒアートフェスタの参加を機にNPO法人化。アートを通したまちづくりをモットーに一次産業とアートの連携を図りたいという、最先端の課題に果敢にとりくむ。淡路島は、玉ねぎのみならず棚田や気候もよくく地産地消>には最適。90年代早々に世界環境芸術会議を開き、2002年まで続けてきた経緯があり、行政の理解も心強いといえそう。ちなみに私も92年の環境芸術会議には参加したことを覚えています。山口勝弘さんもお元気でした。
ディスカッションでは、横浜クリエイティブ・シティ構想などアーバンデザイナーの北沢猛さん、トヨタ自動車社会貢献推進室長の布施直人さんを交えてのなんやかんやでした。
詳細は、フォーラムの公式サイトにて参照ください。
僕が気になったキーワードは、<場所の内力、外力>、<異系種間交流>、<アートのコミュニケーション力>など、など。
二日目
午前10時から洲本のまちあるき;磯崎さんのガイドで、洲本の近代史、なんと映画『北のゼロ年』の北海道開拓団の出港地。港の面影は、いまやなく明石大橋でフェリーからバスセンターへと模様代わり。洲本の町の百年前、そして百年後をイマジンです。
午後は、もう暗くなるまで、ディスカッション。淡路島アート議定書を協議するということで、いろんな文言をめぐり、緻密に、詳細に、そして微細に練り上げて行く作業は、体力だなあと実感。でも、ことばが見えなくて、触れなくて、慣れない私には、ホント、疲れた。皆さんご苦労様でした。
最終日は、車できていたので単独で、猫美術館と震災記念館、そして、最後は明石大橋を眺めながらの温泉につかっての岐路で、久方に旅というか気持ちの入れ替えができた三日間でした。

2007/12/12

アートミーツケア学会横浜大会を覗いて

●12月の8,9日と二日間、横浜ArtBank1929にてアートミーツケア学会の大会がありました。
会長の鷲田清一さんは、大阪大学の総長でもありますが、基調講演で、アートミーツケアの名称は、実は「アート見つけや」という。
アートと福祉が出逢うというこの学会ならではの、「ふわふわ」感が、心地よかった。
初日は、播磨靖夫さんのあいさつから、アサヒビールの加藤種男さん、擁護老人ホームさくら苑の桜井里二さん、大阪市大の山口悦子さんらによるディスカッションではじまりました。
それぞれの立場から「臨床するアート」の大会テーマに寄せてのお話がありました。
加藤さん;<アートは冒険する、市民のアートリテラシーの向上とアートの変化>を、「アートは何かの役に立つことはない、だから、人々のものの見方、考え方を挑発し、心を動かし、社会を変えることができる。」との視点で事例紹介を踏まえてのお話。
桜井さん;Art Of Life(AOL)という視点から、「生きることは表現することだ」として、アートを広くとらえること、とりわけデス・エデュケーションという死と向き合うことにアートの可能性をお話。確かに、死は、開始の始につながるなあと思った。
山口さん;病院におけるアートの役割に「まちづくり」のように「なんかおもろいことできへんか?」のアプローチを提唱。あえて「癒し」、「セラピー」、「やさしさ」といった枠組みを忌避してきたという。アートへの期待は、想定外の可能性を挑戦する態度を奨励するためだという、アートによる社会変革意識とでもいえる積極的な話でした。
今回は、プレゼンテーションとして、事例紹介がありました。
1、名古屋造形芸術大学の「やさしい美術プロジェクト;病院とアーティストの協働による<安らぎのある、地域に開かれた病院>の創出。
2、「地域精神医療における描画の在り方」東京芸大大学院の先端芸術表現専攻と千葉の浅井病院との事例研究。
3、女子美術大のメディアアート学科によるアート&デザイン・ファシリテーターの養成というテーマからの成果として、タッチパネルを使った療育支援ソフトの紹介
4、慶応大学教養研究センターの「三田の家」プロジェクトの紹介。
5、神戸芸工大ファッションデザイン学科によるeven art projectの紹介。アウトサイダーたちの感性をデザインにミックスしてオリジナルブランドを立ち上げようと<ミックスサイダー>というブランドの紹介。
6、山梨のプラネタリウムの番組作りでの「星の語り部」の紹介。視覚に障害をもつがゆえに触れることのできない星空を語り部活動で感じようとする試みには、ロマンあふれるものがあった。
二日目は、鷲田さんの講演「臨床する知とアートの力」から始まる。
;臨床とは、もともと医者がベッドサイドに往診に行くことから、現場にいくこと、現場の場所性を重視する。アートは、もちろん、哲学も場所性をもつことで、専門と非専門のあいだにゆらぎをもたらすことの大切さを事例をもってお話。事例に本学の映画や舞台での活動が紹介されていて、ちょっとうれしく思った。
その後は、5つのテーマにわかれてのテーブルトークのセッションに。
僕は、「百聞は、一見をしのぐか;美術館、博物館のソーシャル・インクルージョン」という美術鑑賞をめぐってのトークセッションに参加。19名の参加者全員が、まずは自己紹介となぜこのセッションに参加したかのフリートークからはじまる。学芸員、教員、学生、作家、音楽家、施設職員と、多様な顔ぶれで並河恵美子さんの司会で時間をすごす。
全体に二日間、濃密な時間が流れ、多くの刺激と可能性や勇気や元気をもらった。
帰り際、播磨さんとの会話で、「一挙に芽が吹き出したようで、以前では予想もつかなかったよ」とのことばに<アート見つけや>の実感が確かに!あった。