2008/10/25

第2話人形の家へのステップ

<1974年9月3日、シューラ・レッサー、四歳半の女の子>
<道具の備えと励まし>
<1972年1月、二歳;なぐり描き>
<筋運動の制御の能力>
<荒い円形の突っつき>
<楕円形の運動の繰り返し>
<1973年春>
<ばらばらの円>
<幾何学記号の結合、集合および他の混合を創造する能力>
1ヵ月後
<最初に表われた表象、オタマジャクシ人間>
<印づけの集中>
<長方形の囲み図形>
数ヵ月後
<線、斑点、円形のモチーフの饗宴へと>
1973年の暮
<空間構成が出現>頁103
<紙が背景として働くことの気づき>
<ミロのように並はずれたバランス>アルンハイム
<組織化の感覚>
1974年6月
<初めて、屋根、窓、ドアのある、完全に描かれた家を見る>(人形の家のモデル)
<二年半で、なぐり描きから場面描写へのこの目ざましい旅を可能にしたものは何であろうか>
<創造的な活動のうねり>
<まわりの世界の力>
<子どもの絵であっても、最終的な作品は、以前の経験全体を反映している>

4章 物としてのオタマジャクシ

<なぜよちよち歩きの幼児は人の絵を描かないのだろうか>
<どういうやり方で外界を知るようになるかという問題>
<触覚の世界からシンボルの世界への移行>頁69
<空間的な関係の探索>
<まず、出まかせを語ること、、この言語による大胆な試みは、子どもにとっては自分が(他の人と同様に)、実在を表現する印をつける力をもっているということを示している。>
<物として機能する形態をつくり出す能力>
<背景に対しての図>
<オタマジャクシ人間>頁76
<ルドルフ・アルンハイムは、円の部分は顔と胴体の両方を意味している>
<クレア・ゴロンブたちの研究では、三、四歳児は、腹、首、顎、腕、へそ等に十分気づいていることが証明>
<ノーマン・フリーマンは、子どもはこの腕を頭、身体あるいは何か未分化な混合物から伸びているのか?>
<特定のものよりも一般を描く理由>
<一般的なレベルでの概念の組織化(の段階)>
<平らで一元的>
<原型という手続き>
<初期の名前付けの練習>
<ピンの突き通ったりんごを描く>アーサー・B・クラークの透視画の実験例

2008/10/12

第3章 形の出まかせ話

3章 形の出まかせ話
カール・グスタフ・ユング(スイスの精神医学者)
ローダ・ケロッグ(アメリカ、幼稚園教師)
<夢によるエピファニー;調和の極地の印象>、<シンボルとしてのマンダラの特徴>
<人類すべての成員に共通した大脳組織の同一性のプシケ的な表現>;プシケには個々の文化や個人の意識のすべての差異を超越した基層がある。
<ユングはマンダラ様の形態の究極的な源泉として、人間の脳の構造および人間の意識と無意識の性質に目を向けたが、一方ケロッグは、マンダラの起源を幼い子どもの描画の歴史の中に見出した。>
<ケロッグは、子どもたちのなぐり描きを二十の基本タイプに、十七の位置パターンを同定した。>
<ケロッグの描画の進歩を概観>
<二歳ー二歳半頃;なぐり描きの中に潜在していたさまざまな形や位置パターンが具現化、引き出される>
<三歳児、最初は四角形、次に三角形、それから色で塗りつぶした斑点、点の連続というように、形のボキャブラリーを休むことなく何時間もかけて通っていく。>
<並べて描く>、<重ねて描く>、<結合形>、<集合形>など。
<マンダラは結合形のすばらしい例>、<(マンダラは)結合行動の中心的な傾向を現している>
<子どもの腕の運動との一致、完全な対称性、周囲の多くの対象との明らかな類似性、形を比較的繰り返しやすいこと>
<グスタフ・ブリッチ、ヘンリー・シェーファー=ジマーン、ルドルフ・アルンハイム、、子どもの絵のパイオニア的な研究者とならんで、ケロッグは、円の生き生きとした図形としての潜在力を強調した。>
<対照の知覚>頁54
<精神的距離>
<最大の対照の原理>
<運動から得られる喜び、そして練習>
<点をつけるのは、鋭く強い叩きの活動>
<波形を作るのは、もっと静かでより規則的>
<角をつくることには、動作途中のエネルギーと圧力の変換が含まれている>
<このような制作の質の違いは、子どもの初期の活動のもう一つの重要な部分>
<結果としての絵画的な形態ではなく、叩くこと自体の動的な性質>;(描くことを描く)
<一年後、印の性質まで中を払うようになる。、、、印は有限性を獲得、すなわち始まりと終わり、ある種のユニタリ性を獲得>
<包囲形>頁56
<紙の上の形と現実の世界の形との関係への無関心>
<図形的な活動の世界と経験の宇宙の結合は三歳になるまで起こらない。>
<描いたものに名前をつけることが出来るという意識>
<絵の領域と言語の領域の結びつき>
<表象的な描写>頁58
<パターナーが描画や粘土や数列並べといった活動に執着>
<ドラマティストはごっこ遊び、物語、大人や仲間との会話、人との社会的なやりとりといった活動を好む>
<自分の描画を超えた世界>頁61
<図形的なシンボルの作り手>頁62
<チンパンジーが表象的な絵を描いているという主張>
<マンダラの性質と状態>頁65
<認知、反復、記憶>
<マンダラがその特別な役割を負っているのは、純粋な形の探索と真の表象的な描出の中間点>

2008/10/07

第2章 最初のなぐり描き

2章 最初のなぐり描き
<息子のジェリー、18ヶ月と三日目>
<手先や手首や前腕の二分間の筋肉活動を記録した印>
<ジェリーにとっては一つの達成の表れ>
<図式(Schema);対象語を描写するための基本的な形態を意味>
<スキーム(Scheme);繰り返しうる行動的な動作すべてを指し示す>
<発達した反射群>、<知覚的、運動的スキーム>
<子どもはすでに、人や顔を組織化された全体として、、見ている。>
<物は今ここにある場合のみ存在し、視界から消えると心からも消える>
<六ヶ月の子どもはまわりの世界から自分を切り離すことができない。>
<いないいないばあ>
<子どもは周囲の二つの世界を理解するようになる。すなわち物の世界と人の世界である。>
<道具の使用>
<筋肉運動からの満足>、<痕跡を眺めたい>、<書く道具は必要ないことを発見>
<初期の印づけの時期>
<手の動作によって何かを作り出せるということに気づいたのである。その何かとは、持続的なもの、自分にとって重要なもの、そしてまわりの人にとって重要であるものなど>

第1話 なぐり描きの発達過程
<23ヶ月>
<彼は断固として青いマーカーに執着>
<微小発生と名づけられる過程、つまり人間の活動が一分ずつ、一歩ずつ発展する順序をライブで示した>
<一つの連続的なストローク、つむじ風状の活動で表現>
<トントンと印をつけるごとに「オー」「アー」「オー」と声を出した>
<短時間のうちに描かれた一連の絵は、特徴のあるリズムを示している。>
<テンポのもう一つの変化が次の何枚かの絵に見られる。>
<幼い子どもたちの絵の持ち場を示す最良の方法はなんだろう>
<アナロジーとなるものを見つけるのは、やさしい>
<明らかに二歳児が描くものはその言語活動と共鳴する>
<喃語、初期言語の登場、夜中の独り言、これらはすべて絵と共通の味をもつ>
<子どもの図形的な活動の精神や方向づけられたエネルギー>
<自分のしていることをどんな意味においても意識してはいないのは確かだった>
<描画活動に最も近いアナロジーが、子どものことば遊びで起こる。>
<単語や音のコーパス>
<個人を超えた発達の力、成長そのものの力が支配>
<絵の起源と微小発生についての完全な説明を持っている人は必ず失望するだろう。>

2008/10/05

『子どもの描画;なぐり描きから芸術まで』を読む1

ハワード・ガードナー著、星三和子訳、誠心書房 1996初版 原著ARTFUL SCRIBBLES;The Significance of Children's Drawings by Howard Gardner 1980

1章 序論 子どもの絵の概観
<一、二世紀前には・・・子ども期そのものが人生の重要な一時期とはかんがえらていなかった>
<幼い絵の魅力に盲目>、<意義の評価に関して近視眼的>、
<美術史の重要な流れと呼応>、
<ミロ、ピカソ、クレーなどの二十世紀の芸術家たちの手になる[子どものような]作品との精神面でのつながり>
<二歳・・・なぐり描きに熱中>
<三歳・・幾何学図形の・・マンダラ模様>
<四、五歳・・対象の表象・・描写>
<小学校低学年・・・最も目を見張らせられる創作物・・自身のライフ・サイクルの追体験>
<同じ順序を追って進歩していくように見える>
<子どもの描画のライフ・サイクルの問題>
<このような作品の起源を探る>
<子どもの作品の美的な地位をめぐる議論>
<ロドルフ・テーファー;1848、幼いミケランジェロと不滅のミケランジェロ>
<シャルル・ボードレール;[近代の画家]の純粋な原形>
<ジャン・デュビュッフェ;子どもの絵の収集、パリのラクガキ>
<パブロ・ピカソ;[かつて私はラファエロのように描いていた。しかし子どものように描くのを身につけるのに、一生涯かかった]>
<アンドレ・マルロー;子どもは芸術的だが、芸術家ではない。なぜなら、その才能が彼を支配しているのであって、彼が才能を支配しているのではないから>
<ナンシー・スミス;アプローチの仕方が違う>
<マリア・モンテッソーリ;嘲笑?>
<パウル・クレー;子どもは芸術について何も知らないということを忘れてはいけない。芸術家には、意識的な形式的構成・・無意識の連想を経ての意図>
<十九世紀後半、ルソー主義者たち;子どもの無垢さに注目>
<子どもの成長に類似した発達への気づき>
<一歳・・紙に印をつけ始める、叩く運動感覚、なぐり描きの黒い線と白い紙面の対照を楽しむ>
<三、四歳・・いくつかの幾何学的な形、パターン・・言語の音声の(発達)のように>
<三、四、五歳・・それとわかる描写を作り出す>、<図形的なストラテジー>、<紙面の空間の可能性>
<子どもの絵に対する標準的なアプローチは、基本的には正確だがあまりにも公平無私すぎる>
<子どもの絵に対するもう一つ別のアプローチ>
<子どもの絵というものの意味>、<感情の状態の単純な反映>、<子どもの無意識的な関心>、<子どもが見たものではなく知っているもの>、<認知的な方向づけ・・知能の尺度として利用>
<生活の一般的な現象の表われ・・秩序を探求する表われ・・コミュニケーションの実例・・社会の型の指標・・大人が失った無垢と生気・・>
<このような善意のことばは、注目を喚起するには役立ったかもしれないが、究極的には反生産的である>
問題・課題は?
《なぜ子どもの絵は特徴的な道筋をたどるのか》
《子どもの絵と他の知的・社会的・情緒的発達等との詳細な関係は何か》
《子どもの絵の美学的な地位とは何か》
<道具の使用>、<基本的な概念や物のクラス>、<奔放な象徴遊び>、
<芸術へのアプローチの仕方は、・・・比ゆ的な言語である>
<飛行機雲に[空の傷跡を見て]四歳児>
<芸術家は[いかに]を知らねばならない>
<才能の問題>
<お父さん、子どもってどうして大きくなると違ったふうに絵を描くようになるの?>
<なぜだと思う?>
<大きくなると違ったふうに見えるんだと思う。物をもっと注意深く見る。それからたくさん考えて、実際に描く前に頭のなかで描く>

以上。ピックアップ・ワード10月5日

2008/08/03

香川県立善通寺高校でのWS報告


7月29日善通寺、弘法さんの生誕地。駅から徒歩10分ほどで善通寺第一高校。校門を入るとイサムノグチの作品が迎えてくれる。普通科とデザイン科をもっていて現在、善通寺西高校と統合中。


7月30日<発想をデザインする;身体感覚であらわそう>をテーマに、まずは身体の解きほぐし。新聞紙をもみほぐす。デザイン科の生徒1年生から3年生、西高校の生徒たち、それに地元の中学生たちと、生徒たちもはじめまして状態で、空気は硬く、身内で固まる。無理も無いけど、100人くらいの気持ちを解きほぐすのは大変だ。


向かい合ったグループで、新聞紙でタワー作りゲーム。ようようこのあたりで空気がほぐれて変わってくる。スイッチ・オンとまではいかないが、いい雰囲気になってくる。みんなで場をつくるという意識が芽生え始める。「空気読めない」とかっていう場の空気に自分をあわせるんじゃなくて、「空気をつくれ!」ってこと。




場所は、体育館。10mのロール紙を12本。思いっきり身体を動かして描こう。導入は、歩きながら線を引く。
体育館の広さや空間を感じてもらうことをねらいにウオーキングする。ドラをならして、ドンドンでたらめに歩いてもらう。でもなかなか動かない。なんで?恥ずかしい?暑い?うざい?面倒?とにかくだらだらしている。そのうち前の人とつながり芋虫歩きがはじまる。あちこちで遊び始める。ようよう体育館がいい空気になって身体がなじんでのお絵かきへ。その後は自由にラクガキへ。オノマトペで楽描き、など、いろいろ思い思いに描きだす。彼らの無意識も含め、内面やイメージ、興味、関心、欲求、などなどが見え隠れしてくる。校長先生はじめ他の先生方も興味深そうに覗き込んできた。
地元の四国新聞記者が写真を撮る。翌日の紙面にカラーで大きく掲載される。



7月31日二日目は、カラーテープで体育館の空間に線をひく。初日と違って、もうみんな好き好きに線をはりめぐらしていく。2時間があっという間に経過する。
そのうち遊びが始まる。ハンモック状態にして上に乗ろうと挑戦。水面下にはくらげ状のものがぶら下がり、バスケットゴールにテープを投げ入れはじめ、体育館の外周りへと進出。風が見えるようになり、音がざわつき始め、波の音のよう、せみ時雨がBGMで、体育館がプールのよう。



午後は、昼寝をかねて各自好きな場所を見つけてたたずむ。隅っこに、窓際に、真ん中に、テープがたるんでるところに、床に寝転んで、おしゃべりでまるくなって、ハンモック状態で揺られて、など、時間が経過するのも忘れて身体でむきあう。まだいける、まだもつ、と見ているうちに1時間が経過した。みんなどんな時間を味わったのだろう。

振り返りの時には、生徒が、<こんなこともしかしたら最初で最後かもしれない>っていってくれた。感想文を読むと結構たくさん書いてくれていて、授業中聞いたときにはほとんど語ってくれなかったのに、思わず気持ちが熱くなった。よくもわるくも住んでる場所の空気や環境による影響が大きい。
まずはどんなことでも身体で気付くことからすべては始まる。気付くにはどうすればいいのだろう?そして、何を気付くんだろう?
この問いかけをもってる以上、大丈夫、大丈夫!
また、こんな機会で会えることを楽しみにしています。実り多い、僕にとっても勉強になったwsでした。
正直、疲れた~。ふらふらで、倒れそう。でも気持ちよかった。

2008/07/14

香川県善通寺高校での出前授業

善通寺高校出張授業プラン 7月30,31日 デザイン科の学生1年、2年、3年、中学生、合計約120名

テーマ;身体感覚であらわそう
 気持ちをかたちにするという表現について、手を動かすことから五感や身体全体を働かせることの気付きや楽しさを遊びを通じて学ぶ。

内容と進行予定;*の準備物は水野で用意
一日目/7月30日
10:00 はじめましての導入WS;授業趣旨とガイダンス、グループ分けなど
準備/場所、からだをほぐす、ブラインド・ウオーキング、グルーピング(5~8名/G×12)
●120名を対象のwsは、初めてでどんなことになるのかドキドキと楽しみ。場所は、体育館を予定。まずは、身体をときほぐしでリラックスしよう。

WS①からだで感じよう;感覚・知覚を意識
準備・材料/古新聞紙1部/人、ストロー、紙コップ1/人、*結束線3本/人、ティッシュペーパー2,3枚/人、ハサミ、
●さわる、きく、みる、などの感覚知覚の気付きに、ストロー笛、紙もみ、バランス遊び、など。

10:20 WS②<きもち>を<かたち>に;スクリブル、リズムで描く、廻し描き、書くと描く、など
準備/画用紙B4程度3枚/人、描画材各種(クレヨン、クレパス、ポスカ、マーカー類など適宜)

11:20 小休憩、鑑賞会
12:00 昼食
13:00 WS③描くを拡げる;手と道具・材料を発展させて
準備/ロール紙(90cm×10m)12本、描画面材各種(ダンボール、古布、その他)
描画材各種、

14:30 展示・鑑賞
15:00 

二日目
10:00 WS④校舎をキャンバスに;カラーテープで構内を張巡らそう
準備/梱包用テープ(500m、各色12本)、ハサミ、
●導入にカラーテープを結ぶことから、場所の策定、グループで作業

12:00 昼食
13:00 鑑賞と発表;ふりかえり、
●鑑賞は、それぞれお気に入りの場所探しから。

14:30 かたづけWS;ゴミにしないでテープのボールづくりに。
15:00

以上、原案として計画。現場の状況から内容は変更応用します。
趣旨は、自身の身体の気付きと身の回りをアートで見直すことです。

2008/07/07

夏休み体験学習をやります

この夏、京都大学博物館にて小学生を対象にワークショップをやります。


■ タイトル:「ワイヤーマンをつくろう」

■ 日時:2008年8月7日(木)10:00~12:00

■ 対象:小学3年生~6年生と保護者

■ 定員:20組40名

■ 場所:エントランス ホール

■ 持ち物:筆記用具・その他あれば、ご記入下さい。

■ 館での準備物:あり(○) ・なし( )

        ありの場合のみ、ご記入下さい

        →A4台紙1枚/人、ハリガネ適宜、小ペンチ適宜、タコ糸適宜、木工ボンド適宜、昆虫標本、図鑑資料、など。筆記具には色材(色鉛筆、クレヨン、マジックなど)があるといいです。

■ その他

結束線、小ペンチ、ボンド、タコ糸、その他(小石、木っ端、小さなガラクタ類など)必要なものなどは、持ち込みます。

導入は、小石や木っ端に足をつけて昆虫のような変な生き物を作ることから入ります。そして、ヒトをつくり、二本足で立つことの難しさと地球の重力を感じてもらえればと思っています。

さらに、昆虫や生き物の歩き方や、移動の仕方、足や手の仕組みとかに興味を持ってもらうようにファシリテートできればと思っています。

最後は、出来たものの鑑賞です。館内のあちこちに作ったものをインスタレーションできればと思っています。

2008/07/01

韓国総合芸術学校との交流授業


韓国総合芸術学校 交流プログラム
日時;7月1日2008年 9:00~12:10
場所S-41
韓国学生10名 教員2名 通訳;本学環境デザイン学科4回生
こ学学生10名+3名 教員、他、
プログラムのねらい;あそびを通じて韓国学生との交流と学科の理解を深める
内容と進行;
9:00 はじめまして 導入WS/水野FA
ネームカードをお互いの表記で書きあい名札をつくる。
(韓国学生には、すでにウェルカムパーティ時にひらがな表記のプレートを)
ハングル表記で日本の学生名をかいてもらう。
二列に机をはさんで座ってもらい、お互いの顔を描き合う。
各自、一つのパスを選んで持つ。(画用紙B4サイズ)
但し、30秒から1分ほどのあいだで描き、席を移動し、順番に相手を代えて描きあう。
9:30 WS/佐藤FA 音であそぶ;トーンベルを各自手に持ちサークルに座る。
アイコンタクトで音をならしてつなぐ。順次、音を鳴らしあう。
10:00 WS/成瀬FA こどもの遊び;韓国と日本でそれぞれこどもの遊びを紹介しあう。
模造紙にあそび方を表示する。
日本からは、<なべなべ>、<はないちもんめ>
韓国からは、<鬼ごっこ>;オルシで氷に、
10:30 休憩
10:40 継続
11:00 WS/近藤FA ことば遊び;日本語と韓国語でのしりとり
模造紙にことばと画を描きつないでいく。
11:40 ふりかえり/水野FA

各自の感想や意見などを述べあう。身体を動かすことは、共通のベースとなる。アートは世界共通の基盤を築きうる。学生たちは、共にいい汗を流し、ことばは不自由でも遊びを通じたコミュニケーションに自信と理解を深めたようだった。
最後に、ARTは、HEARTを見えるようにすること。HEARTにかたちを与えると同時に、かたちあるもののHEARTを読み取ること。HEARTがつながれば、そこにはEARTHが見えてくる。

2008/06/14

淀保育園での研修会から


淀保育所保育内容研究会
5月27日2008年(火)18:00~20:00 対象者;保育士さん、20名ほど
テーマ;画を描くこと、あらわす(表現)こと

はじめに
からだで感じ、からだで答える。
手と目と耳と、感触と、運動、からだ全体で感じて応答することが、表すことにつながる。
Ws00 古新聞紙を破らないように注意してやわらかくほぐす。
しばらくして、隣の人のと交換してみよう。肌触りが違うことが確認できる。
その違いから、なんとなく人となりの雰囲気や気持ちが感じられる。
Ws01 ぐるぐる、カクカク、ほわほわ、描き


Ws02 からだの動きが線になる/描かれた線が気持ちを動かす
 輪になって座り、1分程度で回し描きしていく。紙、ダンボール、布、板、色紙、包装紙、など、なんでも描けるものを素材に、回し描きしていこう。
丁度、一周して自分のところに最初の画面が戻ってきたら終了。
みんなの描いた跡が記され、画面は小さな旅をしてきたようだ。


Ws03 偶然選んだ色紙の断片五つで、顔をつくってみる。
できた顔から表情を引き出してみる。
みんなで見せ合い、思いつくまま感じを交換し、それぞれのふさわしい<お相手>をつくってみる。今度は、顔として意識して色紙の断片を選び出す。
Ws04 積む、並べる、集める、などの行為から
最後に、残った材料を並べてみよう。最初は、なにかの基準を見つけて、並べてみる。次に、色合いや背の高さ、大きさ、積み上げたり、重ねたり、など、いろんな並べ方を見つけよう。さらに発展させて、街に見立てて並べてみてもおもしろい。
ここでは、なんでもないものが、工夫次第でおいしい材料になることを感じ取ってほしい。
後は、遊び心をどんどん引き出し、夢中になろう。

用意するもの;
描画材あるもの各種、紙類、布類、ダンボール、その他なんでもあり。
小石、小枝、葉っぱ、木の実、などの身近な自然物から。
ティッシュ・ペーパー、お菓子の箱、キャンデーの包み紙、空き容器、などの身近な生活物から、
その他;テープ類、展示発表用にピンなど

2008/05/17

プサン美術中学生アートワークショップ


Ws1 導入として;artはheartをかたちにする行為
ウオームアップドローイング
ハリガネマンでバランスポーズ/重力、重心、からだの動き


Ws2 色を感じよう;色の知覚と心理
色紙での知覚反応/補色
二色での知覚反応/色の属性
色の対比効果/コントラストという比較、相違、差異、ズレ、など


Ws3 偶然の色あわせ;5ピースでの比較、コントラスト
明るい色から暗い色へ
派手な(目立つ)色から地味な(目立たない)色へ
重い色から軽い色へ
おいしく感じる色からまずそうな色へ
好きな色から嫌いな色へ
韓国の匂いのする色から日本の匂いのする色へ
その他



Ws4 色のかかわり;色合いと感情喚起
五色五片で顔をつくる
できた顔から表情を引き出す
顔のプロフィールを引き出す
マスクにしてかぶってみる





2008/05/15

環境に愛を!展


環境に愛を!というテーマの展覧会が、京都市美術館で開かれています。「愛、地球博」の展開を続けようとの呼びかけからだそうです。残念ながら、準備不足もあって会場は淋しい状態ですが、今後に向けての発展を期待します。今回の参加者の一員として、作品にこめたメッセージだけでは弱くて自己満足で響かないと思います。見るものに気持ちや意識を引き込むような参加がほしいと思います。

2008/04/26

子育ては言葉の教育から

表題は、外山滋比古さんのPHP文庫の本のタイトルからです。
幼児教育で忘れてはならない39章と題して、エッセイ風にこどもと言葉のあり方を巡って記しています。その中でひっかかったことがあります。それは次のことばです。

「子育ては仕事ではなく、芸術です。空気の絵を描く芸術です。こどもの心のカンバスに絵を描く画家の喜びと苦労があります。」

この本の最後に記されたこのことばには、生活する生きるからだが芸術していないことには、いくらカンバスに絵を描こうとしても絵にならないといっているように聴こえてきます。子育てはともすると親の義務感や責任感といった考えに押し切られ勝ちですが、実は、自らの喜びや自己実現を自ずと求める行為だと言い切る視点は、現代の芸術観自体をも揺るがす力を秘めていると感じます。
あとがきにこうも記しています。
「ことばの教育というと、すぐ文字を書かせ、読ませることと考える常識も、幼児にとっては迷惑です。幼いこどもにとってのことばは声をもったことばです。できれば母の声で教えたいものです。」
「教育の基本は幼児のときに覚えることばであると考えています。この学習は学校の生徒が机に向かい、頭でするのと違って、遊びの中で体で覚えます。そういう体で覚える勉強の方法はまだよく確立しているとは言えませんが、小学校のまねではいけないのははっきりしています。」
遊びと学びのありようについての教示がここには見出せます。からだが頭を強くしていく方法、「丈夫な頭と賢いからだ」の方法を芸術が教えてくれると思います。
『子育ては言葉の教育からー幼児教育で忘れてはならない39章ー』
外山滋比古著、PHP文庫1997版
追記;ブックカバーの装画は、五味太郎さんです。五味さんといえば、『じょうぶな頭とかしこい体になるために』ブロンズ新社の本の著者です。

2008/03/31

最近の作品から


「蝕・色・食」 IACK2008展、ギャラリーマロニエ(京都)1月22日~27日2008年
<りんご>と<LINGO>わけのわからないちんぷんかんぷんの意
リングは、りんごの重みで仕舞ってくる。
この作品は、りんごをあらためてスーパーの棚から離れて、まじまじと見つめられたら、どんなLINGOを語るのかという好奇から。香気を発するよう期待しての展示となりました。
結果は、<やっぱり食べるとおいしい!>でした。

2008/03/22

こども芸術学科があゆみ始めました(その2)

「保育に役立つリトミックと手遊び」での秋浜友子さんの特別授業では、<からだは楽器>というスイスのE.J.ダルクローズが提唱開発した音楽教育の手法に触れるものでした。リトミックは、楽器の演奏訓練から入るのではなく、まず、からだ全身で音を感じ、リズムや音感を育もうという「感じる」ことを根拠にした手法といえます。このときは教員も参加して、広い体育館で全員、こどもに返っての楽しい授業でした。からだを動かすとキモチが動きます。音やリズムはそのキモチに楽しさと無心さを教えてくれました。


夏休みには、地元の子供達と泥んこプールでのワークショップです。土をいじったりドロドロの感触を味わったりと自然の材料は、私達に多くのことを教えてくれます。土や木、水といった材料自体の芸術的価値を発見したのは、実は、ここ百年ほどの出来事なんですね。それまでは画面の支持体や表現手段としてイメージに仕えるものとみなされていました。


京都や大阪などでは、地蔵盆というこどものための行事が今日もずっと続けられています。この夏、はじめて<こ学>の学生たちも参加して、こども芸大、ピッコリーの皆さんらと一緒になっての地域のこどもたちと喜び、遊ぶ、地蔵盆となりました。いろいろ身近な材料や遊びを工夫しての催しは、こどもたちにどのように受け止められたのでしょうか。今後も楽しみな出来事でした。


9月には、「こどもといのち」をテーマに鎌田東二さんの集中授業が、長野の八ヶ岳のふもとにて行われました。ここは、縄文土器がたくさん発掘された古代のスピリチュアルに満ちたところです。いのちのテーマにふさわしい場所での三日間でした。写真は縄文人に返ってのパフォーマンスの発表風景です。岡本太郎の「芸術は爆発だ!」といういのちの息吹を学生たちは十分からだで感じたと思います。


『うそつきのつき』、『なぞなぞのたび』、『森の絵本』など、ユニークな絵本作家の荒井良二さんが<こ学>の特別授業を一日もってくれました。学生達と身近な材料で絵本をつくるワークショップでしたが、彼の基本は即興でした。<その時、その場>は、一回限りのものです。そこでの向き合い方は<いま>を予定や計画で埋めないで、その時・その場で応答して決めていくという即興的なものでした。ともすると即興性は、<場当たり>、<いい加減>、<無責任>などと嫌われ、批判されがちです。しかし、「感じること」をベースにするには、この問題を乗り越えなければなりません。彼の授業は、時間不足などの尻切れに終わったかもしれませんが、学生達の目はいきいきと楽しそうで、表現することの大切なものを感得できたと思います。


「造形表現」という授業が、学科の特性を位置づけるものとして設定されています。前期のテーマは、「からだと表現」でした。後期は、「あそびと表現」です。この写真は、この授業で音具、楽器を創作しての発表会の様子です。丁度、こども芸大の親子も顔を出してくれました。学生たちは、思わぬお客にやや緊張気味ながらも自らの作った楽器で演奏発表をしてくれました。こどもの反応は率直で、良し悪しではなく、こどもの反応からは得るものが多い。空気や場の雰囲気、間、そして気持の変化などが、こどもの様子で見えてくる。「感じる」ことからはじめる根拠の指標となりうるかもしれません。


この一年は、学科にとって小さな一歩かもしれませんが、多くの人人の援助や手助け、そして理解、協力、声援が大きくあっての一歩となりました。心より感謝と明日への希望を願っています。

こども芸術学科があゆみ始めました



2007
年の4月より、こども芸術学科(こ学)のお姉さん、お兄さん29名が「こども」と「アート」と「教育」をキーワードに<こども芸術>についてまなび始めました。

このこども芸術学科は、<人もアートもどのようにして生まれ育っていくのか>という<はじまり>、<誕生>、<発達>といった根っこを掘り下げ、求めることを課題としています。なぜなら、そこには「芸術によってヒトは人になるんだ」という思いがこめられているからです。どのような時代、地域、民族においてもそれぞれに共通するものに<芸術するこころ>を見出すことができます。ナゼ、共通な営みとなりうるかというと、芸術は生きることと強く結びついているからです。死ぬこと、生まれること、そして食べること、遊ぶこと、学ぶこと、働くこと、など、これらは人類の共通の課題であり、営為です。芸術はこれらと根っこのところで強く結びついています。ですから、この<芸術によって人になる>というこのことばがあるのではないでしょうか。芸術が個々の違いという<個性の表現を主張する段階から、芸術による人間の形成・発達の段階へ>ということが、<こども芸術>の課題だと考えています。個性の表現とは、なによりも人間となること(形成・発達)と結びついていなければなりません。それは同時に、全的な人間の発達を促す芸術とはどのようなものかという芸術自体への問いでもあります。人間になっていく(形成・発達)とは、どのようなことを指すのでしょうか。子育てや保育は、その意味で芸術と深く根っこのところで結びついています。さらに言えば、子育てや保育は、人となる個性を育む(未来の)芸術行為だといえます。

保育とは、なによりも「感じること」から始まるのではないでしょうか。人間はもともと未熟な状態で生まれてきます。動物と比べても身体能力は弱く、生まれたままの状態では死んでしまいます。助け、保護し、世話するという保護養育することが自ずと必要となってきます。それは相手の身になって感じ、考えようとする行為にほかなりません。ですから、手を相手にあてて感じようとすることは、古来から手当てという治癒・治療行為の始原的な仕草です。感じることは、からだ全体をつかって、経験や知識、直感や気持ちなど、すべてを動員して想像力を働かす行為だといえます。このことは、実は、そのまま芸術行為の本質です。感じることをあらわそうと、そして伝えようと、なんらかのカタチにする行為が芸術の本質です。<カタチ>にする手段方法の技術が、必要なのではなくて<カタチ>にしたいという想いや<キモチ>が手段方法を生み出すのです。保育においても手段方法のマニュアルやスキルが先にあるのではなくて、いとしい想いや成長の願いや<キモチ>が子育てや保育方法の知恵や工夫を生み出すのではないでしょうか。優れた保育実践の報告にはこれら「感じる」ことを根拠にした姿勢や考えが伺えます。人と比べたり、統計や数値で測ることを根拠にしないで、生きた感じる心を根拠にしてはじめたいと思っています。